123年前までは神奈川県だった
現在の町田市を含む多摩地区の大半は、1871(明治4)年の廃藩置県後、神奈川県に所属していた。その後「東京府」に移管されたのは22年後の1893(明治26)年。東京の水源である多摩川の上流を管理するためという理由だったが、その水源があるのは北多摩郡と西多摩郡で、町田がある南多摩郡まで移管する必要はなかった。
『あなたの知らない神奈川県の歴史』(2012年)によると、南多摩郡も含めた移管には、政治的思惑があったという。北多摩郡・西多摩郡・南多摩郡の「三多摩」で勢力の強かった自由党に手を焼いた当時の神奈川県知事・内海忠勝が、彼らの影響力を削ごうと南多摩を切り離さぬよう主張したのだ。